お月様にあいたくて

闇夜の砂漠で月を待つ。 それが日常。 たまには、こっそりひっそり毒でも吐こうか。

日々の思い

日常の中で

新しい年がやって来た。
昭和に生まれて、平成をやり過ごし、令和も4年になったらしい。
この頃は西暦で記入するものが増えて元号が何年なのか忘れてしまっていたわ。
というか、私には正月が特別な日ではなく、日常の続きでしかないのよね。

…………………

11月にぎっくり腰になったのは以前書いた。
思いのほかあっさりと回復して喜んでいたのもつかの間
12月に帯状疱疹になってしまった。

抗がん剤治療で免疫力が低下しているので、風邪など引かぬよう感染症には気をつけてきたけど、
まさか自分の体の内側から敵が現れるとは思ってもいなかった。

はじめ、背中にぽつりと何かができた。
ニキビか?などと思って放っておいた。
それから10日以上たった金曜日の夜、背中から脇腹にかけて赤い斑点を発見した。
痛みはない。
が、もしやと思い土曜日に救急外来を受診した。
帯状疱疹だった。

通常だと初期症状から痛みが出るらしいが、私は鎮痛剤を飲んでいるせいで痛みを感じなかったらしい。
治療が遅れると後遺症として神経痛が残ることがあるらしいが、私には鎮痛剤という強い味方がいるので何のその、たまに違和感があるが痛い思いはせずにすんでいる。

これが良いことかどうかは分からない。
多分、あのギックリ腰のときには役に立っていたのだろし、今は冷えで膝が痛むこともない。
これからも色々な痛みを感じずに済ませることができるのだろう。

でも、これってまともじゃないことだと思う。

私って、こんなに強い鎮痛剤を飲まなきゃ生活できないんだという現実を突きつけられた感じだ。
ヘラヘラと笑って過ごす日常が鎮痛剤の元にあるなんて…
まあ、痛みで苦しむより良いのだけどね。

それで思う。
この鎮痛剤のバリアを突き破ってたまに訪れる癌の痛みとはどれほどのものだろうと。

試しに薬をやめてみたい気もするけど、そんなアホな冒険してどうなる?

………………

年末年始(31日・1日)私は眠り続けていた。
食事をしたら薬を飲む。それ以外の時間、ただただ眠く目を閉じると寝落ちするばかり。
何も考えず何もせず、年は暮れ年は明けた。

今日はやけに痛みを感じて特別な薬を飲んだわ。

この病気になってから、気象の変化についていけなくなっている。

体調が悪いと思ったら、だいたい「気圧配置が…」と天気予報で言っている。
「前線が…」とか「等圧線が…」とか「気圧の谷が…」とかってね。

気象病というらしいけど、自然にはかなわないってことなんだろうね。
これも薬を飲みながら日常としてやり過ごすしか道はないのよね。
面倒くさい日常だわ。




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おしゃべりな花だから

女はおしゃべりをしなければ、枯れてしまう花なのよ。ネッ!

去年まで街路樹の下にはキバナコスモスがこれでもかと咲き誇っていた。

夏になって、去年群生していた場所にこぼれ種からの苗はないかと見に行ったが1本も見つけることはできなかった。

ああ、きっとね、おしゃべりに夢中になりすぎたんだわ。
あの子たち、元気で賑やかが過ぎたもの。
そのせいで種を落とすのを忘れてしまったに違いないわ。

それでも、夏の終わりのころ街路樹の下に数本のキバナコスモスを見つけて私はとても嬉しくなった。

……………

私は花が好きだ。
キバナコスモスやひまわりだけでなく、あるブログに載っている薄い色の花たちも大好きだ。

ピンクやクリーム色のマーガレットの寄せ植えや、ペチュニアたちも密かにおしゃべりをしているに違いない。
「ねえねえ、あのお花、斬新なカットにされていない?」
「あら、でも、私の虎刈りよりずっとましだと思うけど…」
「今日の雨は一体ナニ? 急に降って花びらが破けるかと思ったわ」
「ちょっとぉ~、トマトさんたらナニを着ているの? ルーズソックス復活とは言うけどさぁ」
「それがさぁ~、着心地は悪くないけど、何だかムズムズするんだよね」

ヒソヒソ、クスクスッ。おしゃべりは止まらない。

冬が来て、1年草は枯れていく。
「じゃあね、さよなら。でも、種を落としておくからよろしくね」
まるでスカートの裾を翻す子供のように、クスクスと笑いながら駆け出して行ってしまうかも。

私の頭の中、虹色のファンタジーが広がっているわ。
ラン ランララ ランランラ♪ ジブリだってドン引きしちまうくらいにね。
大丈夫かよ?と、頭を少し小突いてみたりする。
病気で少しおかしくなってる?
いえいえ、それも私なんだよ。

おしゃべりな人たちに辟易したふりしてるけど、実は私もおしゃべりな花の仲間さ。

そうそう。おしゃべりな花と言えば、やっぱりあの花よね!
見るからにそうじゃない? 私はかなり好きなんだけどね。
泣いたり、笑ったり、怒ったり、激しかったり、忙しい花だよね。

ああ、いけない。
私のおしゃべりが止まらなくなる。
だから、その花の名前はナイショだよ。

あっ!
今、肛門丸出しのワンコが、こぼれ種を踏んづけて通っていったよ。
お尻が寒くないのかねぇ~?

って、何の話だ!



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カットフルーツ

風を通すために開けた北側窓の温度計は、昼前に30℃を超えてしまった。
温風かよ?

暑い。
北海道に住んでいる意味ないんじゃね?ってくらい暑い。
こんな日は、エアコンをつけて引きこもるしかないわね。

………………………

抗がん剤治療を受けるようになって食べ物の嗜好が変わった。

前回退院したとき、思わず買ってしまった立派なパイナップルひとつ。
八百屋の店先、上目遣いで「食べ頃よ。ウフッ♥」と誘惑されてしまったのよ。
でも、まな板の上でその芳醇な香りに包まれ、圧倒されながら思った。
「おい、病み上がり。こんなにいっぱい食えるのかぁ?」

ザクザクと切り分け、半分を冷凍庫に放り込んだ。

まあ、食べるのはなんとかなるだろう。
だが問題なのは残された皮の方。
これが、果肉以上に甘酸っぱい香りを漂わせている。
生ゴミの日は3日先。
ビニール袋を三重に巻いて冷蔵庫で保管することにした。

充満するパイナップル臭。
冷蔵庫の中では、全ての物にパイナップル臭が染みついた。
その匂いが消えるまで、軽く一週間はかかったような。

冷凍した物は味も香りも微妙に薄くて鮮度の大切さを痛感した。
もう、パイナップルを丸ごと買うことはないだろう。

スーパーの店頭で、カットフルーツを見てこれからはこれにしようと心に決めた。

ちょっと高めだけどゴミは出ないし手間もかからない。
ありがたい物だわ、カットフルーツ。

何年かぶりに好きじゃなかったスイカを買った。
みずみずしい果肉をシャリシャリとかじりながら、カットフルーツの恩恵にあずかる。

誰かがこんな風に食べやすくカットしてくれてるってありがたい事よ。

今年はお世話になりますわ。ありがとうね。カットフルーツ。

………………………

さて、今のところ治療は順調なよう。
ただ、肋骨に転移したので放射線を照射してやったわ。
あれ?これって治療は順調と言えるのかしら。

まあね、私の場合、5年生存率ってやつが6%程度らしいから、何がおきても驚かないけどね。

実家の家族が電話を切るとき「じゃあね。頑張ってね。って変な言い方だよね」と、いつも戸惑っている。

「あんたさぁ、それ以外に何を言える? それで良いと思うよ。」と、病人の私が言う。
「そんじゃぁ、頑張るは。お休みなさい」そして長電話は終わる。



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故郷(ふるさと)

退院しました。
日課だった放射線治療が終わり、治療は順調に進んでいます。
とは言っても抗がん剤治療はまだ数回残っていて、小規模な入院は断続的に続きます。
これが終わらなければ治療のワンクール終了とはならないので、結果は分からないのですが…
とりあえず腫瘍はかなり小さくなって、この調子で消えてなくなれっ!
などと、思っています。

…………………………

このブログを始めたのはいつだ?と、振り返ってみたら2013年11月だった。
え? そんな昔から? 時の経過の早さにビックリするばかり。

きっかけは、私と全く無関係なブログの集団(ブログ村)との出会いからだった。
健全に生きることを使命として生きてきた私には、眩しい異世界との遭遇?

今の私なら「他人のブログに感情移入も、そこそこにしとけよ」と自重するのだろう。
が、あの頃の私は無知で純粋であった。いや、そうでもないような…忘れたけど。
ま。ね。お門違いも甚だしいのに、まっすぐに飛び込んで行ったわけよ。

いろんな人がいて、いろんな事情があって、いろんな思惑にあっさり飲み込まれたわ。
それでも、限りなくブラックに近いグレーな人達の中にも(失礼承知で)まともな人もいた。
私は勝手に人様のブログの中で生きてやがて離脱した。

それで、そのカテゴリーには、いまだに読み続けているブログが一つだけあります。
特別な交流があったわけではないのですが、私はそこで大切なことを学びました。
それはね、大人になるということ。でした。
当時50代のガキは、30代?の大人をまねてそれなりに大人になることができたと思います。

今では目標を達成して更新も激減しましたが、その分ブログ主の肩の荷が下りたのだと思うと
ブログの更新なんぞあってもなくても構わない気がします。

で、かつての大家のブログを訪ねたのですが、すでに削除された後でした。
それでも更に何かを調べようとしたとき、ウィルス対策ソフトにネットを遮断されてしまいました。
ああ、本当に私が(あるいは私たちが)存在したあの場所は無くなってしまったのですね。

なんか、儚いですね。

思わず「故郷(ふるさと)」の歌詞が頭に浮かびましたわ。

       作詞/高野 辰之
       作曲/岡野 貞一

 兎(うさぎ)追いし かの山
 小鮒(こぶな)釣りし かの川
 夢は今もめぐりて
 忘れがたき ふるさと

 如何(いか)にいます 父母
 恙(つつが) 無しや友垣(ともがき)
 雨に風につけても
 思い出ずる ふるさと

 こころざしを 果たして
 いつの日にか 帰らん
 山はあおき ふるさと
 水は清き ふるさと

でも、自分の意思で過去を消去できるって、なんて自由でいいのだろう。
ここでは、だれかのために存在し続ける必要なんてないのだから。

みんな、みんな。リアルの世界で幸せになっておくれよ。




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その日は訪れて

12月のある日、仕事から帰ると電話が鳴った。
時刻は7時ちょうど。
「さっき父さんが亡くなったから…」
「明日、通夜だから帰ってきなさい。コロナは大丈夫でしょ?」
「わかった。いるものは有る?」
「お金の心配はないから、何も気づかいはいらないよ。」

受話器を置くと何故かとても眠たくなって、そのままゴロンと眠ってしまった。

目覚めたのは10時近く。
すでに準備済のキャリーケースの中身を確認して、帰郷の準備を完全なものにした。
いらないと言われていても、とりあえず現金も用意した。
そして、翌朝一番のバスに乗った。
乗客は最後まで私一人だった。

コロナだもんね。

父の顔は穏やかだった。
というか、とても綺麗だった。
痩せてはいたが、やつれてはいなくて、色白のハンサムな顔がそこにあった。

苦しむことなく、この自宅から無事に旅立てたんだ。
良かったね。父さん。



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