魯迅の小説が好きだ。

ただ、読後感はあまりよろしくはない。

なんというか、多彩なブログを読みあさっていた頃
とても不愉快なブロガー?がいた。
こいつは『阿Q正伝』の主人公か?

主人公がゴミなのか、それとも周囲がゴミなのか。

魯迅の小説は、イヤらしいほど現実と交差して
人の営みの中で、その卑しさが変わることなく続いているのだと気づかされる。

……………………

私は、孤独って言葉が嫌いだ。
その悲壮感ただよう響きが誰かに憐れみを求めているようで、
誰かに憐れまれるネタとして自分が存在することを求められているようで、
そのネガティブさが、鬱陶しい。

独りでいるのは寂しいからと、人の群に飛び込んでみても
他者とかかわることが苦手な者は、群れているからこその寂しさに怯えるだけだ。

誰と寄り添っても、根本的にみんな孤独なことに変わりないんじゃなかろうか。
誰かと一緒にいようとも、人生の落とし前、てめーで着けるより他はないだろう。

なぁーんてね。
言ってみたところで、孤独に代わるもっともらしい言葉を私は知らない。

…………………

私は人間嫌いではないけど、群れることが好きではない。

それなりに生きて来て思うのだけど、群れの中で必要なのは
協調性ではなく、同調性なのだと思う。

曖昧なイエスマンであること。あり続けること。

私はこれが苦手だ。

もし、裸の王様が歩いてもそのお召し物?を褒めたりはしないだろう。、
かといって、「王様は裸だっ!」と声をあげることもしないだろう。

まあ、どっかの沼のほとりにひっそりと穴を掘って、「パンツぐらい穿きやがれぇ」と、
湿った思いを吐き出すという、ひとり遊びをする程度。

私のように誰かとつるむのが苦手なヤツは、
無理しても碌なことにはならないから、一人で生きるしかないのだ。

他人様からは、寂しいヤツに見えるのは仕方ないよな。
と思いながら、
でも、その基準は人それぞれだよな。
と、思う。

まあ、私なんぞ孤独者というより、脱落者の方がピッタリなのだが・・・



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