ユラユラとした揺れに目が覚めた。
私の住むマンションは地盤のおかげか、震度2程度なら揺れを感じたことがない。
だから、これは大きな地震かも知れないと思いテレビをつけた。
震度は?震源地は?詳しい状況を把握する前に電気が消えた。
朝には復旧するはず。そう思って再び眠りに落ちた。
が、夜が明けても停電は解消されていなかった。

ただ、水は出るし、一人暮らしには大きすぎる温水器にはお湯がたっぷりある。
電気が来ていないだけ。
普段通りにシャワーを浴びて、ドライヤー代わりに扇子で髪を乾かす。

電気がないだけの日常。

スマホやラジオを持たない私には全く状況を把握できぬまま出勤。
出勤途中のコンビニには長蛇の列が出来ていた。

出勤してもこの時代、電気がなくては何もできない。
IP電話は通信不能だし、ルーターが機能しなけりゃネットも使えない。
当たり前だが照明もつかない。
なので社長と雑談の後、そのまま帰宅とあいなった。

24時間営業のコンビニの行列は解消されつつあり、閉店のお知らせが出ていた。
それでも人が入っていく。強引だな・・・

新聞の夕刊が届き、大規模すぎる地震だったことを知った。
赤土のむき出した山の斜面に現実味はなかった。
ひとくくりにするには、この北の大地は広すぎる。

夜、犬の散歩に出かける時、満天の星を見て
この大きな都市で、こんな空を見るなんて・・・と、思った。
被災地の状況を知らぬまま、見上げる空は美しかった。

自宅に帰り、ロウソクの炎をボンヤリと見ながら眠くなるのを待った。

…………………

夜明け前、まぶしさに目が覚めた。

停電なのにスイッチを入れて忘れたままの照明が一気についたようだ。
冷蔵庫がうなり声をあげていた。
急いで携帯を充電器にセットして再び眠りに落ちた。

朝、いつものようにテレビの音で目を覚まし、私の日常が始まった。
ニュースは地震のことばかり…

初めてこの地震の被害の酷さを知った。

…………………

まる1日、ほとんど情報のない状態で過ごして、大地震の実感はなかった。

今、明るい部屋の中でテレビを見ながらも、いまだ実感はない。

私の生活では、地震と停電を同列には感じないのだが、テレビの論調は少し違う。
全道的にって、全道が揺れたわけではないのですがね。

この不幸な地震と不運な停電はセットなのかも知れないが、
停電になったとき、便利な生活を享受する危険とは?
といったことも論じられるべきではないのかなどと、天の邪鬼なことを考えた。

地震の備えと停電の備えは別のものだろう。

地割れも、液状化も、山崩れもない。
健康な体があるなら、電気がこないくらいどうということはない。
そう居直れるくらいの準備の方が必要なんじゃなかろうか?

お門違いかも知れないが、この世は電気で動いていて、人工知能も同じこと。
ねえ、知能までも機械任せでいいのかい?
無力な人間が無能な人間になるのは、レベルアップ?それともダウン?

…………………

まあ、当事者でなければ所詮は野次馬でしかないわけで
私も電気がついたら、とっとと野次馬の仲間になりさがってしまったわ。

同じ市内でも、まだ停電の地域もあるらしいのですが
テレビの騒ぎを横目に、ロウソクを仕舞って、私は普段の生活に戻っています。

※私は薄情でしょうか?
 『西部戦線異状なし』そんな小説のタイトルが頭をよぎります。



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