セルフネグレクトなるものが社会問題になっているらしい。

まっとうに生きて歳を重ねたら、自分の命、好きにしてはいけませんかね?

…………………

伯母が亡くなったのは、病院に併設された大きな老人福祉施設だった。

骨折し入院した伯母を、従兄はその施設に転院させた。

同室には、人形を抱いて眠り続ける人。
天井を見つめたまま身動きしない人。

たまに子ども達が見舞いに行きはしても
まともに言葉を発する人のいない病室で、伯母は徐々に惚けていった。

伯母がまだらに惚けたころ、従兄は持病が悪化してこの世を去った。
おそらく、自分の死期を察して、親の身の振り方を考え
従兄は伯母を福祉施設に預けたのだと誰もが思った。

伯母は息子の見舞いを心待ちしながら、何年も生きて
何も知らないままこの世を去っていった。


私の家族は言う。

 きままな一人暮らしになれた伯母を、引き取って暮らせる子どもはいなかった。
 だから、施設に入れる以外に道はなかったのだろう。
 でも、あの施設に入らなければ、伯母は簡単に惚けたりはしなかったろう。

 何の刺激や娯楽もない生活なんて、生きているとはとてもいえない。
 生きているとは、食べて動いて、話してこそではないか。

………………
 
70歳代の友達のその友達は90歳を超えている。
かなりのお金持ちで、通いのヘルパーさんを雇っていた。

ある日、自宅で倒れて救急搬送。
検査をしたけど、異常なしで自宅に帰ったところで再び倒れた。

2人いる子どもは東京で暮らしているため、友達が病院に付き添った。

再検査をしても、やはり異常はない。
が、息子達はそのおばあちゃんを退院させなかった。

友達の話では、帰る気満々のおばあちゃんは、筋肉が落ちないように
足の上げ下ろしなどをして、自立歩行を維持しようとしているのに
病院内の移動は必ず車いすで、だれも歩くことを許してくれない。

ばかりではなく、ベッドから降りようとするとセンサーが感知して
看護師に床に降りることを阻止されるそうだ。
本人が歩きたくて、歩けるのに歩かせないって、どういうこと?

どうやら、息子達の意向で、危険なことは一切させないことになっているらしい。

その息子達は、月に1度しかおばあちゃんの見舞いには来られない。
その度に「いつ退院出来るの?」と聞くおばあちゃん。

入院して1年の頃、見舞いに行った友達に、お兄さんの方が言ったそうだ。
「・・・・もう、ぼけてくれたらいいのに・・・・」

そして、2年がたってもおばあちゃんはぼけもせず、退院を心待ちにしている。
息子達は「もう、マンションは処分したから、帰るところはないよ。」と、伝えたとか。
「多分、退院を諦めさせるのに嘘をついているんだと思う。」と友達は言う。

お金持ちで、お嬢様育ちのおばあちゃんは、同室の人と話をしない。
「私、ああいう方達と、お話しはしたくないの。」
なのに、寂しくて、友達が見舞いに行くのを心待ちにして、
息子が来るのを指折り数えてまっている。

おばあちゃんが、あまりにも可哀相で、友達は息子さんに話してみたそうです。
「退院させないなら、息子さん達のいる東京の施設にでも転院してあげたら?」

お答えは、キッパリ「それはしません。」チャンチャン。

最近、息子さんがポロリとこぼした本音は、「もう、いい加減・・・」だったとか。

……………

自立できる資産があって、まともな判断力をもっていても
高齢だというだけで、子ども達はその自由を平気で奪う。

大きなマンションから、ベッドの大きさに居住空間を移されて、
身動きできずに、ぼけや死を待たれるって・・・
これは親孝行なのか?

生きたまま、死んでいるのと同じなんじゃないの?
なんか、すごく酷いことを平気でできるんだね。


私なんて貧乏だから、施設や病院に入れないので、このおばあちゃんのようになる心配はない。

例え、のたれ死にでも、死に場所を強制されるよりはましな気がする。

だから、なんつーか、セルフネグレクト上等! などと思ってしまうのである。

私の命は、私のものだ。
いじくりまわされて、閉じ込められて終わりを迎えるのはいやだなぁ~

これまで、社会に迷惑をかけないよう、必死で取り繕って生きてきたのだから
人生の最終盤くらい、わがまま自由にさせて、と思うのです。



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