数日前、愛読ブログ(愛のあるブログです)の記事を読んで、ちょっと考え込んでしまった。

その考えをまとめて、記事にしようと思っていたら、先を越されたw

リンクのし合いっこみたいで恐縮ですが、その記事はこちら

………タイトルから離れます………

ヌコが来なくなって、寒の入りになって、大寒が過ぎて、明日は立春。
それなのに今日の最高気温は-7℃。
風と一緒に雪は降り、希望はどんどんしぼんでしまって・・・

そんな時、ヌコとは無関係なそのブログを読んで「ああ・・・」となった。


この北国で、TNRをするのは残酷なこと。
(あくまでも、こちらの地方でのこととしてです。)

野良ネコの寿命が2~3年といわれる厳しい自然環境の中で
TNRをする意味ってあるのかしら?

不幸な猫を増やさないと謳いながら、TNRをされた猫は不幸ではないのかしら?

またNPOへの怨み言になるのだけど←自分でもしつこいと思ってます。
保健所での殺処分以上に残酷なことをしている気がする。

ヌコのTNRをした後、NPOの代表は「エサをやってはダメ」だと言った。
この時点で、TNRの意味(意義)は破綻していたのよね。
「繁殖しないから、地域猫として温かく見守る」ではなく
ヌコが飢え死にしても構わないってことだもの。


臆病なヌコのことだから、ねぐらは安全などこかの隅っこだったと思う。
そのせいで、雪に閉ざされてしまったんじゃないかと思う。
後に来るのは、餓えと寒さ・・・だよね。

もし、そんな状態でヌコが命を落としてしまったら、
『ハイッ!寿命です!』と、私は思えない。

NPOとしては、繁殖せずに野良ネコが消えた。TNR成功。なのでしょうが・・・

TNRがこんなものなら、ヌコは保健所に行ったほうが良かったのではないだろうか?
TNRの実態を知ってから、ずっとずっと、そんなことを考えていた。

捕獲の恐怖を味わって、狭いケージで麻酔を打たれて前後不覚になるのと
保健所で死を迎えるのとどこが違うの?

私は、怯えて、飢えて、凍え死にさせるために、TNRをしたんじゃない。

ごめんね。ヌコさん。
あの時、TNRをするくらいだったら、あなたを保健所につれて行くべきだったんだよね。

 NPOは殺処分ゼロを目指しているそうだ。
 だから、TNRを推奨しているらしい。
 でも、温かな地方ならともかく、こちらの自然環境を鑑みれば
 繁殖できなくした猫の、のたれ死にを推奨してることと同じ。
 野良暮らしなら、2~3歳で勝手に死ぬから気にしないでぇ~ってか?
 
って、これを言っても『保護活動』という慈愛に満ちた言葉には太刀打ちできない。


でもね。ヌコは、まだ3歳。
なのに、私はヌコを2度も死なせてしまった。(かも知れない。)
という後悔ばかりしている。

ヌコのTNRをして間もなく、私が心に決めたこと。
TNRをするくらいなら、私は迷わず保健所に行く。
ひとつの命を(絶つ)死なせるならば、それは一度で充分だから。
残酷な状態で生かせることが保護ではないと思うから。



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