正しい、正しくないなどどうでもいいのよ。
自分が納得できるまで行くしかないのよ。
結果など気にしていては何も出来ない。

たしかにそうね。

でも、それは所詮、自己満足の追求でしかないのよ。

全ての結果を自分だけで受け止める力があるなら、それもいいだろう。
でも、たいていの場合、周囲を巻き込まずには済まない。

他人の心に宿るものに、どんな責任がもてるというの?

ほんの一時の感情を大切にするのは勝手だけど、
その勝手に付き合わされる側はたまったものではないだろう。

情なんてしょせんは綺麗事でしかない。
私の場合、自分の生き方を振り返れば、苦い思いはたくさん転がっている。

自分の情を押しつけるなら、
最後の最期までとどまれるのか、よーく考えてみるべきだと思う。


私が実家を離れて30年以上が経つ。
私が実家に帰りたくないのは、私がすでに家族ではないからだ。

実家の家族の30年を私は部分でしか知らない。
私の帰省は、実家の家族の部分にしかならない。

帰省のたびに語り合い、笑い合い、時には腹を立てあう。
でも、私は実家の家族の本当の姿を知らない。

私は両親の子どもであることに変わりはないけど、
30年の時を経て、その日常に私はいないのだ。

他人ではないが、実際の家族でもない。
だから私は話しを向けられれば話しをするが、実家のことに口出しはしない。
ここからの、先々のことに責任もとれないのに、家族であるなどと
どの面さげて言えるだろうか。

あの土地に根付き、これからも生き続けるであろう家族に必要なのは
平穏な暮らしだと思うし、外に出てしまった人間がその平穏をかき乱す権利などない。

自分が根っこを断ち切ったのなら、
そこに根を下ろすもののテリトリーを荒らしてはいけないと思う。

自分は、かつてそこにいた。
だから?
だから、義務を主張する権利があるとでも?


私の人生を振り返れば、残してきたはずものは、残っていないことに気づくのだ。
法的な義務以外に家族に主張できる権利など、今の私にはないという現実。

薄情と言われようとも、
覚悟のない人が口にする情ほど、たちの悪いものはないと私は思う。

この歳になったら、これからの人生を見据えた行動をしなくてはならない。
私には子どもがいないのだから、のたれ死ぬ覚悟はできている。
でも、そんな覚悟は私だけのもの。
私の思い込みのために、身内の者を傷つけるわけにはいかない。

親が亡くなった後、いかに親族に迷惑をかけないか。
それはまず、相手に苦い思い出を残さないことではなかろうか。
私達には、良い思い出も、悪い思い出ももういらないのだ。

そんなことを思って、私は家族と距離をおくことを心がけている。

なので、いつまでも情で動ける人は幸せだなぁと、思ったりする。



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