お月様にあいたくて

闇夜の砂漠で月を待つ。 それが日常。 たまには、こっそりひっそり毒でも吐こうか。

1月が終わる

放射線治療のおかげで肺の影は消えたまま。
でも、腰やら背中やらに新しい癌がポツリと現れる。
1月は、11日から10日間ばかり入院して新しい抗がん剤をはじめた。
以前とは違い、週一で3回。4週でワンクールを繰り返すことになった。
他に放射線治療もすることになり、退院後は病院通いが日課となった。

コロナ禍の中、人混みは避けたいので行きはタクシー、帰りは歩き。
まあ、経済的な理由もあってのことなのだけど体を動かすことも必要だし丁度良い。

大きな変化はないが、良い方向には行っていないってことですね。
……………

年末から体調はよろしくない。

特に入院していた期間は暴風雪で荒れまくりの天気だったせいか、
夜中に何度も目が覚めまともに眠ることが出来なかった。

入院は食事の心配をしなくて良いけど、周囲に気を遣う。

ほんの1畳のベッドの上が生活の全て。トイレにでも行く以外することもなく、
体調が悪くても、おならもゲップも痛みに呻くこともままならないってとても辛かったわ。

入院なんて元気なときにするもんだ! なぁんてね。

……………

退院してからも体調は一層悪く、痛みは強くなっている。

この痛みは定位置にずーっとかたまりとして居座っているのだが、癌のあった場所ではない。
『ナゼ君はここで自己主張しているのだい?』という感じなのである。
もうそろそろお引き取り頂きたいのだが、私の思うようにはいかないらしい。

そこで名前をつけてやった。『かたまり君』

ま、ね。仕方ないよね。病気なんだもの。
元気に生きていても、ままにならないのが人生だわね。

……………

コロナの勢いが止まらない。
その上、雪が降るのも止まらない。

1月にスーパーにいったのは2回だけ。
後はネットスーパーを利用しているのだが、2月3日まで予約が埋まってしまっている。
それ以降の予約に潜り込めるか?
0時を過ぎたら再チャレンジしてみる。

ああ、痛みさえなければ私は元気です。
抗がん剤と放射線で血小板や白血球は減少していますが、怪我さえしなけりゃ心配ない。
気圧配置が安定したら、だるさや眠気からも解放されるはず。

時々、心配してくれる人に言うのさ。
「元気でごめんよ。」ってね。



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日常の中で

新しい年がやって来た。
昭和に生まれて、平成をやり過ごし、令和も4年になったらしい。
この頃は西暦で記入するものが増えて元号が何年なのか忘れてしまっていたわ。
というか、私には正月が特別な日ではなく、日常の続きでしかないのよね。

…………………

11月にぎっくり腰になったのは以前書いた。
思いのほかあっさりと回復して喜んでいたのもつかの間
12月に帯状疱疹になってしまった。

抗がん剤治療で免疫力が低下しているので、風邪など引かぬよう感染症には気をつけてきたけど、
まさか自分の体の内側から敵が現れるとは思ってもいなかった。

はじめ、背中にぽつりと何かができた。
ニキビか?などと思って放っておいた。
それから10日以上たった金曜日の夜、背中から脇腹にかけて赤い斑点を発見した。
痛みはない。
が、もしやと思い土曜日に救急外来を受診した。
帯状疱疹だった。

通常だと初期症状から痛みが出るらしいが、私は鎮痛剤を飲んでいるせいで痛みを感じなかったらしい。
治療が遅れると後遺症として神経痛が残ることがあるらしいが、私には鎮痛剤という強い味方がいるので何のその、たまに違和感があるが痛い思いはせずにすんでいる。

これが良いことかどうかは分からない。
多分、あのギックリ腰のときには役に立っていたのだろし、今は冷えで膝が痛むこともない。
これからも色々な痛みを感じずに済ませることができるのだろう。

でも、これってまともじゃないことだと思う。

私って、こんなに強い鎮痛剤を飲まなきゃ生活できないんだという現実を突きつけられた感じだ。
ヘラヘラと笑って過ごす日常が鎮痛剤の元にあるなんて…
まあ、痛みで苦しむより良いのだけどね。

それで思う。
この鎮痛剤のバリアを突き破ってたまに訪れる癌の痛みとはどれほどのものだろうと。

試しに薬をやめてみたい気もするけど、そんなアホな冒険してどうなる?

………………

年末年始(31日・1日)私は眠り続けていた。
食事をしたら薬を飲む。それ以外の時間、ただただ眠く目を閉じると寝落ちするばかり。
何も考えず何もせず、年は暮れ年は明けた。

今日はやけに痛みを感じて特別な薬を飲んだわ。

この病気になってから、気象の変化についていけなくなっている。

体調が悪いと思ったら、だいたい「気圧配置が…」と天気予報で言っている。
「前線が…」とか「等圧線が…」とか「気圧の谷が…」とかってね。

気象病というらしいけど、自然にはかなわないってことなんだろうね。
これも薬を飲みながら日常としてやり過ごすしか道はないのよね。
面倒くさい日常だわ。




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兄が来た

いつだったか実家に電話をかけたとき
「兄たちが見舞いに来たいと思っているなら、元気な内に来て欲しい」と伝えておいた。

今はまだ死にそうにないくらい元気なんだけど、その時が来たら一気に逝っちまうらしいので
 ※私のがんはそのようなものだと、医師は言っている。
そのあと兄達に見舞いに来なかったことで後悔が残るようじゃ気の毒ってものだろう。

兄達は2時間以上かけてやって来て、1時間くらい滞在して帰って行った。

10ヶ月ぶりに顔を合わせて何の話をしたかしら?

私があけすけに話すせいか兄達がドン引いていたのは確か。
だけど、みんな、必ず死ぬのにねぇ~

他人の病気に興味津々なのは私とて同じ野次馬だと思うのよ。
「帽子とってみる?」と訊いても「いや、いい」って、怖かったのかしらね。
仕方ないので「何か質問は?」と訊いたのだけど、兄達は病気について何も訊いては来なかった。

だから、せめてもの土産?に放射線治療でできた後頭部のハゲを見せてあげたわ。
「また生えてくるから大丈夫だよ」ってね。

………………

兄が来たのは見舞いだけが目的ではなかった。

私に経済的な援助を申し出てくれた。

気持ちだけ頂いて、さすがにお断りしたわ。
「いやー、8月分までの保険請求で130万入金になったんだよね。一応、貯金もあるしね。」

………………

アホな妹だけど、老後の人生設計はたててたんだよ。
その資金を前倒しで使えば十分にたりるはず。

それより、お金使っちまったのに死ななかったらどうしよう!って方が心配なんだけどね。



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冷蔵庫と洗濯機とぎっくり腰

冷蔵庫と洗濯機を買い換えた。
以前、医師に『それどころじゃない』的なことを言われていたが、先にどちらの寿命が尽きるかわからないわけで、
もしこれから先、自宅療養中に壊れたら私が困るってもんだからねぇ。

何かあったら、使うも捨てるも家族達が好きにすれば良い。

………………

体調はすこぶるよろしい。
4週間前の抗がん剤治療の最終日に痛みがふっと消えた。
あれから特に強い痛みを感じずにいた。

が。

先日、設置された洗濯機の位置が気に入らず、無理にエイヤッと動かしたのが悪かった。
ギクリとは来なかったが、夜になるにつれ背中に痛みがやってきた。
こいつがギックリ腰ってやつか?
とりあえずベッドに潜り込んで寝ることにした。

痛みで朝早くに目が覚めた。
寝返りを打つことはもちろん、起き上がることなどできない。
うめきながら脂汗を流しつつベッドから脱出するのに数十分かかった。
固めだと思っていたマットレスは体重を支えるには心許なくフワフワと動く。
その度に背中どころか腹筋にまで激痛が走った。

それから2日間、寝たら起き上がれず、座れば立ち上がれず、脂汗を流しつつ、
背中をピンと伸ばしてほとんどの時間を立って過ごした。

それでも3日目以降は徐々に回復に向かった。

まあ毎日、かなりの量の鎮痛剤を飲んでいるのだから、それが効いてくれたのかも知れない。
それがなければ、どんだけ痛かったのだろうと思うとぞっとする。

………………

筋力はすっかり衰えちゃったんだね。
そういえば入院中、ペットボトルの蓋が開けられず、手の平にマメができたことがあったわ。

体力も同じくで、外出しても2~3時間で電池が切れたようになってしまう。

でも、である。
だから? なのである。

浄水器をつけるくらいなら、ペットボトルの水でいいわ。と、やっていたら筋力が戻ったのかしら?
今では蓋をくるくると回せるようになったわ。

ま。また、同じ事を繰り返すんだろうけどね。

でも、だから? なのである。

……………

家族は私の病気を受け入れてくれた。

だから私も迷うことなく治療を続けている。

どこか遠くで泣いてくれている人がいたとして、泣いてどうなる?

私からかけられる言葉は、今も『いつまでも、泣いてるんじゃねえよ』だけしかない。



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母が来た

もうすぐ1周忌だ。
前回帰省したのは8ヶ月前の父の100ヶ日法要だった。

その後、私は癌と診断されてお盆もお彼岸も関係なく治療を続けている。

少し前、家族から「母さんがそっちに行きたがっている」と言われていた。
「いいけど、長時間車に乗って大丈夫なの?」
超高齢の母は骨粗鬆症がすすみ、背中は丸まり身体のあちこちが痛いのは知っている。

ならば私が『帰ろうかな…』と何度も思った。
でもね、そは実行できなかった。
バスに乗って行き、泊まって、バスに乗って帰ってくる。
毎日のように昼夜を問わず身体のどこかがつる。
大量の薬。何より入院で私は体力を失ってしまった。
無理だ…

そんなある日「近々行くから」から「明日行くから」の電話がかかってきた。
いいけど、大丈夫か?

幸いその日は晴れていて、気圧痛持ちの母の体調は良かったようだ。

ほんの2時間の滞在。

もともと華奢だった母は、切ないほど小さくなっていた。
両手で杖をつき、歩幅は幼児のように小さい。

「あら、あるんでしょ」
帽子を脱いだ私の頭を撫でるようにポンポンする母。
※現在、一度生えてきたのだが、また抜け始めている。

「小遣いだから」と、差し出された10万円。
「お金の心配はいらないよ」と断っても、断っても…
「いいから、もらっておきなさい」と、家族に言われてそれをありがたく頂いた。

実家から持ってきてくれたおにぎりやおかずを食べてワイワイと話していたら、時間はあっという間に過ぎてしまった。
この時期の峠の天気が気にかかる。

家族が車をとりに行っている間、母と二人きりになった。

「それじゃ、どうなるかなんて分からないから生きるしかないわ。
 来年、暖かくなったら帰っておいで」
母が言った。
「うん。暖かくなったら帰るね」
私も言う。

手を振って、力一杯の笑顔で見送った。

………………

暖かくなったら。母はそう言った。

暖かくなったら?
父の1周忌にすら帰省は無理だと思われたのか…

ごめんよ。こんなことになっちゃって。

とりあえず、生きるしかないわね。



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